2015年9月26日土曜日

猫くらいのサイズ

バスのサイズ感と猫のサイズ感が近い。


猫と仮定したとき、ぞっとするなと思った。

猫釣り。

筒井康隆の小説に、池猫というのがあった。
子猫を捨てた池に、数年ぶりにいってみたら、池猫になって増殖していた、というストーリー。ぞっとする。

魚には痛点がないという説もあるが、針をかけられ、引きづり回されて釣り上げられる。
いくぶん傷つき、リリースされる。
ダメージがないと考えるのは無理があるか。

バスにとって、釣り人はプレデターのような存在。
奴がまた来た、と、騒然としているのかもしれない。

バスの知能は高いという説もある。

バスが逆襲してきたら。
ピラニアのように凶暴化したならば。

遊びの釣りはダメなのか。
キャッチアンドイートが正しいか。

自分のなかで答えが見えないが、ひとつ、思うのは、
野池を野池とおもわず、猫カフェのような、バスカフェと思うという事はあるかもしれない。

猫じゃらしで猫の関心をひきつけて遊んでいるという感覚。
つりあげて、かわいがってリリースする。
そんな感覚でどうだろうか。

人間、結局、多くの生物を殺すことで生きている。
家畜の屠殺シーンをみると、しばらく、肉が食えなくなるが、食卓に加工されたものが並ぶと、その意識は薄れていく。
やっぱり、食べると美味しいし。

自分で手を下すかどうかのちがい。
リリースすることで、罪悪感から解放される部分はある。
しかし、その後の様子を見たらどうか。
数日間はダメージでぐったり。病院送りになっているかもしれない。

ねこじゃらしを夢中でおいかける猫も、じゅうぶん遊んであげると、はあはあいっている。疲れるのだ。
ファイトを見せたバスも疲れ果ててしまっているのは間違いない。

その日に自分が食べる分だけ釣って帰る。
これがもっともシンプルな事なんだろう。

弱ったバスの死骸は浮いてこない性質があるらしい。
だから確認するのが難しい。
バスの屍体がプカプカと浮いているシーンはまず見た事ない。

ときおり、ああ、こいつは、たくさん釣られた奴だなと思われるバスもいる。
ピアスをあけたくらいの感覚であってほしいのだが。

釣り上げたバスになんらかのタグをつける。
日時が記録されるもの。
ピアスくらいのもの。
背びれあたりがいいのだろうか。
そんないいツールないだろうか。

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